京急の踏切衝突事故についてファンが分析した。
5日昼ごろ、京急線神奈川新町駅近くの踏切にて電車がトラックと衝突し、列車が脱線するという悲惨な事件が起きました。車内にいた乗客、乗務員に犠牲者はいなかったものの、トラック運転手の方は亡くなられたそうです。
神奈川新町駅は横浜駅から数駅離れた駅です。あまり馴染みのない方が多い駅かと思われます。私は京急をこよなく愛する一人だとこのブログにおいて公言していた通り、この神奈川新町駅は数えきれないほど訪れています。
私はこの事件をツイッターで知りました。この時旅行中で名古屋付近にいた私は、写真を見てはいてもたってもいられなかった。「あの京急が!?」と、信じられなかった。
私は京急の社員でも、鉄道専門家でもない。ただの京急好きの大学生です。ただ、一般の方のなかでは京急に詳しい自信がある。そこそこの正しいコメントができる自信がある。
そこで今回、ファンとしてこの事件を一から解明し、ファンとしての解決策を見出したい。決して、ファンだからといって、どちらかを擁護するつもりもない。客観的証拠をもとに考えていきたいと思う。
事故のあった神奈川新町〜子安間について
※緑の丸は踏切障害検知装置の設置場所
私はこの区間は何度も乗車している。
ここで一つしるしておきたいこと。
この区間は、意外にも見通しが悪い。
神奈川新町駅の隣、子安駅を出発すると、緩やかなカーブが続く。そして、カーブが終わると隣には新町車庫が見え、多くの線路が出てくる。また、近くには跨線橋と多数の信号で溢れ、ただの直線に見えても、非常に見通しの悪い区間だと言える。
そして、ここはかなりのスピードで電車が通過して行く区間でもある。
品川駅を起点として、子安駅は19キロ300メートル、神奈川新町駅は19キロ946メートル。つまり、駅間は646メートルと、鉄道にしてはかなり短い区間である。
事件はどのようにして起こったのか?
客観的事実をまとめておくと
・事件発生時刻は5日午前11時43分
・(定時運行であれば)次の横浜駅には11時45分着予定
・神奈川新町2番線通過後にトラックと衝突
・1両目2両目は大きく傾き、3両目は脱線。
・トラックは左折を試みるも、通行禁止によりバックで戻ろうとするため、京急社員へバック操作を見ていて欲しいと頼む。
・京急社員は「左折はできない」とだけ伝えた。
・トラックは左折不可能だと知ると、道路標識を倒しながら右折し、踏切内へ(その後立ち往生するも、直進)
・踏切、踏切障害検知、非常停止ボタンは正常に動作。
・電車の車体性能には異常なし
これらを考慮し、推測ではあるものの、もっとも考えられる事件経過が以下の通りである。
◎
①事件が起きた列車1088SH快特三崎口行きは、11:38定時で京急川崎駅を発車。
↓
②八丁畷、鶴見市場、京急鶴見、花月園前、生麦、京急新子安、子安と通過
↓
③子安通過時には最高速度120km/h程度は出ていたと考えられる。
そして、この頃にはトラックは右折。
加えて、遮断機が下りる。
※遮断機は下りてから30秒後に列車が通過する設計のため、子安通過時には遮断機は下りたと考えられる。
↓
④ 電車の運転手、一つ目の踏切障害検知が作動していることを知る(子安駅構内)
おそらく、この時はブレーキをかけなかったと思われる。(これについては以下に説明あり)
↓
⑤子安のカーブを抜けたところで、二つ目の踏切障害検知作動と、非常停止ボタン作動を確認し、警笛を鳴らし、常用ブレーキをかけた。この時、トラックは神奈川新町3、4番線付近線路上にいたと考えられる。そのため、運転手にはトラックの姿があまり見えていなかったと考えられる。(事故した電車は2番線を走行していたため)
↓
⑥電車が駅に入ろうとする手前でトラック運転手がとにかく踏切を出ようと直進する。ようやくここでトラックの存在に気がついた気づいた運転手は、非常ブレーキをかけた。
↓
⑦間に合わず、そのままトラックの荷台に衝突。トラックの直進が間に合わなかった。電車のブレーキが間に合わなかった。
(この推測ならばおそらくおよそ60km/hで衝突したと考えるのが妥当だろう。多くの報道で伝えられた最高速度120km/hでの衝突だとしたら、脱線・横転・犠牲者多数になっていただろう。※調査により、衝突前に非常ブレーキを運転士がかけていたことがわかっている。)
これがもっとも納得のいく、事件までの推移だと思う。
★追加情報
・神奈川新町駅は優等列車の退避施設を設けているため、4番線まで線路がある。この日も定時運行であれば、1番線には先に普通電車の金沢文庫行き列車が停車しており、その運転士・車掌はホーム整理をしていたと思われる。そのため、踏切の異常に気づき、運転手又は車掌が非常停止ボタンを押したと考えられる。
・ニュースでも報道されている通り、最高速度で運行していたならば、子安構内で非常ブレーキをかけていれば、踏切手前で止まれるほどの性能を持ち合わせた車両であった。
ブレーキをかけるのが遅かったのか?何故間に合わなかった?何故自動ブレーキを採用していないのか?について
ここにしっかりと記しておきたい。
電車は直ぐには止まれない。
ということ。
ボタン一つ押したらすぐに止まるのは幻想ですよ。
一番の論点は④において、非常ブレーキをかけれたのかどうか。テレビで専門家の方が仰っていた通り、④(子安構内)にて非常ブレーキをかけていれば、最高速度であっても踏切前に停車することは可能であった。
結果としては衝突していることから、やはりブレーキが少々遅かったことは認めざるを得ない。では、どうして遅れたのか?
最大の要因として、京急が運転士という人間の裁量に安全面を委ねすぎていた点だと私は考える。報道されている通り、非常停止ボタンをホーム上で押すと、多くの鉄道会社では自動的に列車が停止するそうだが、京急では通報が届き、運転士の判断でブレーキをかけることとなっていたそうです。
京急は、信号操作などを人間の手によって操作している。これは全国の鉄道会社でも稀な方である。これは、機械に任せるよりも、人間の手によって操作した方が事故時などで柔軟に対応出来るという考えに基づくものである。「人間が機械に動かされる」のではなく、「人間が機械を動かす」というシステムを取り入れている。実際のところ、京急は遅れが発生しても、すぐに回復する。沿線の方々から多くの信頼を獲得していた。
しかし、人間はエラーを起こすもの。実際のところ、人間の手によって作業すると早いこともある。そういった点で、今回の事件を踏まえ、機械に任せる作業、人間がやる作業の分担について深く考えていく必要性を私は感じた。
非常ブレーキを即座にかけられなかった理由としては、やはり、見通しの悪さが最もな要因だろう。いくら踏切障害検知が作動していたとしても、当該の踏切が見えない以上とっさにブラーキをかける判断には至らないと思う。踏切障害検知は非常に繊細で、少しの手や足がはみ出ているだけでも作動する。そのため、踏切遮断間際の横断であっても作動する。京急は踏切が非常に多い鉄道であることに加え、開かずの踏切も多い。遮断間際の危険な横断は少なからずあり、踏切障害検知が作動しているのは私も何度か見ている。今回も運転士は、1度目の踏切障害検知の作動を確認し、2度目の踏切障害検知の動作と踏切の状況を確認してからブレーキの有無を判断するつもりであったのだと考える。
しかし、先程も述べた通り、おそらく、2度目の踏切障害検知ではまだトラックは直進できていなかったと推測される。(2番線線路上にはいなかった)その為、運転士はとっさに非常ブレーキをかけるに至らなかったのだろう。
そして、何故京急は自動ブレーキを採用していなかったのか?という点について。京急はおそらく、非常停止ボタンを受信し、自動的にブレーキをかけるというシステムの存在は知っていたはずだ。それでも敢えて導入していなかった理由をファンとして考えてみた。
まず、京急線という路線が特殊であること。
もともと路面電車が起源であったことから、非常に駅間が短い。その駅間にも何個も踏切がありる。そんな中でも高速運転を行っている。また、北は京成線の成田空港、南は三浦半島三崎口まで相互直通運転を行っていることから、少しの遅れが大幅に響くという特徴があることが挙げられる。
これらの点から、ボタンで一斉に列車を停止させるよりも、部分部分で人の裁量によって異常に対応した方が効率がいいという考えがあったと考える。実際のところ、非常停止ボタンで全列車を停車させた遅れは終電までずっと響くことが多い。ここで付け足しておくが、京急は決して安全対策を怠っていたわけではない と考える。自動ブレーキを採用しないなりの対策はしていた(以下参照)
京急だから被害を最小限に抑えられた
トラックと衝突したにもかかわらず、列車は傾いて脱線するにとどまり、横転には至らなかった。
これは京急の車両の特徴に起因する。それは、京急の列車の先頭車両は非常に重く作られているということである。
簡単な話、プラレールを思い出して欲しい。プラレールを動かすための単2電池を入れるのは2両目や3両目の車両でしたか?違う。皆先頭の車両だったと思われる。そうでないと、列車が安定しないから。
これは一見当たり前のように見えるが、京急以外の多くの鉄道会社は、車両検査における効率重視から、先頭車両は重くしていない。(モーターを積んでいない)
またそれ以外にも、車体が高運転台であったこと、防護壁があったこと、衝撃吸収可能な全面構造であったこと...など、京急ならではの安全対策によって、被害を最小限に抑えられた。
まとめると
トラック運転手の過失なのか、それとも鉄道会社の安全対策に関わる問題なのか、、、。
トラック運転手も当時見知らぬ狭い道に入り込んでしまい、とにかく気が気でなかっただろう。電車の運転手も踏切に内に12tトラックがいるとは考えも及ばなかっただろう。決して京急が安全対策を怠っていたわけでは無いと思う。
この事故から学べることとそれに対する解決策二つあると考える。
まず一つとして、京急は異常を察知した際、完全停車が可能な性能にすること。そして、列車に異常を知らせる装置があることを乗客にまで知らせること。
二つ目として、鉄道の安全対策について地域の方々の意見も考慮することだと考える。今回の事故は正直なところ、「トラック進入禁止」との表示があれば防げた。鉄道会社は道路標識までもは把握してなかったのだろう。
早い、あんしんの京急電車。また乗りたい、会いに行きたい。
#がんばれ京急
ブログのネタ帳「黒ノート」を公開!
このブログを開設して、約二週間が経とうとしている。
今のところ2日に一記事程のペースで更新をしている。前の記事で、次からは新しい話題を提供したい!と書いた。
今回は自分のブログのネタ帳「黒ノート」を公開します!黒ノートって名前だけれど、決して悪いこと書くノートではないです!笑
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黒ノート とは?📓
使用しているのはMOLESKINEのノート
高校卒業の際に、卒業生全員に配布された。担任の先生は、読んだ本や観た映画の記録などをするといいとおっしゃっていた。
自分は卒業式の日からこのノートに様々なことを書き残している。そして、それらがブログのネタにもなっているのだ。
前の記事でも書いたけれど、黄昏時に記事を思いつくことが多い。黒ノートをカバンに入れ、昨日も、カーペンターズを聴きながら、河原を歩いてひとつネタを思いついたのだ。
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公開します!!!
①鉄道の乗車記録などを記録
卒業式の次の日から仲間と島根・四国を旅してきました。その行程が記録してあった。
東京駅始発で行ったなぁ...懐かしい!旅の目的は2つあった。
・2018年3月に廃線(旅行した時は廃線予定)となってしまったJR三江線に乗りに行く
・京急線の昔の車両が今でも走り続けている、高松琴平電気鉄道に乗車する
このように、記録に残しておくことで、見返した際に再度旅行ができているかの様な気分になる。旅で使用した切符などは、ノートポケットに入っている。
②aikoのライブの記録
あのライブはヤバかった...始発で茅ヶ崎まで行って、、ずっとaikoを待ち続けたなぁ...。
Love Like Aloha vol.6@サザンビーチちがさき 2018年8月30日
セットリストも記録してあるけれど、それは公開できません、ごめんなさい。代わりに私の気持ち悪いライブの感想文を⬇︎
この頃から「ブログ始めたろ!」と思っていたので、"たそがれダイアリー"は当時から既に開設していたと言っても過言ではない。このまま記事にしようかと思ったけれど、半年前の自分の文章があまりにも気持ち悪いので、部分的に公開します。
③やりたいことリスト
この黒ノートに記録されていることは、自分が浪人していた際に思ったことなどが大半である。
「受験終わってやりたいこと書いてみるといいよ!」そんなことを言われて、書いてみたことがあった...
・三国駅再訪
aikoジャンキーならおなじみですよね!(解説要らないはず) 阪急電車乗りたいな。
・ブログを始めたい
この頃から思っていたのか...。
最近知ったのですが、ブログをやっている方は30代40代が多いらしいです。母親に「なんでブログ?」と言われる毎日...。字数制限もないし、自由に書けるので、すごい好きです。
④気に入った歌詞を記録
歌詞はブログに載せられないので、公開はできないです。申し訳ないです。
黒ノートには、
・カブトムシ aiko
・瞳 aiko
・未来を拾いに aiko
・えりあし aiko
・Imagine ジョン・レノン
の歌詞が記録されていました。ほとんどaikoじゃねぇか!(未来を拾いに いいよね)
⑤?なページ
ヤバっ...自分でもドン引きです。"aikoジャンキー"ってこういうことなのかな??
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最近、なんでもブログにしよう!と思うことが多くなった。友達と話していても、「あっ...これはブログ!」と思ってしまう。勝手に記事にされていたら、ごめんなさい。この黒ノートももうそろそろ2冊目に突入しそう。すごく書きやすいノートです。
なんでもいいから記録に残すのは大切だと、最近思う様になりました。『メモの魔力』という本を見かけたし。今ではデジタルで記録を残すことが多いかもしれないけれど、手書き(アナログ)で残すのもいいはず。その当時のことが思い起こされやすいから。
コメント等お待ちしています
Twitter @tasogarete_1122
過去記事
・1-5 Spring has come -春は皆平等にやって来るんだ- - たそがれダイアリー
・1-6 感動したい。-本当の感動って何さ?- - たそがれダイアリー
J-POPランキング
黄昏時の京急線の車内で聴きたいaikoランキングTOP5
黄昏時、いいですよね。なんか、「人生、きっと大丈夫さ!」なんて、一瞬思えるあの時。そして、黄昏時にブログの記事が思いついたりもする。タイトルだけの記事がもう10を越えている...。
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黄昏時の京急線の車内で聴きたいaikoランキングTOP5!
誰かの役に立って欲しいです、このランキング...なんだこれ。一応、自分の中でのランキングです。
夕方の電車って、心が落ち着く気がする。朝は皆「今日も学校かよ」、「今日も仕事かよ」、「今日も混んでるのかよ」というオーラが車内に充満していて、落ち着かない。夕方の車内は違う。「今日もいいだった」、「明日も...」だなんて、夕日を見ながら思って帰宅している人が多いと思う。仕事帰りのパパが家族モードに切り替わっているあの感じ。考えすぎかな?
別に、京急線である必要はないけれど、地下鉄だと...このランキングには当てはまらないかも。大阪だったら...阪急電車とか、良さそう。名古屋だったら...名鉄?福岡だったら...西鉄?まぁ地上を走っていればOKにしよう。
京急線って、窓が大きめの車両が比較的多く、日差しが入りやすいのです。また、「速い京急」としても知られていて、時速120kmで京浜間を結ぶ。本当はゆっくり夕日を眺めながら帰りたいと思う気持ち反面、京急はどんどん飛ばして、気がついたら駅に到着している。そんな自分の心との差がいい。
(こんな時間帯の京急線がいいのです。)
ちなみに、写真は間も無く引退する800形という車両。
前置き長くなりました...ではまず第4位まで!
歌詞の引用はなるべく控えておきたいので、気になった方は是非aiko をCDで聴いてみて下さい。
第5位 『三国駅』(夢の中のまっすぐな道)
第4位 『ナキ・ムシ』(小さな丸い好日)
ここまで、いかがでしょう?三国駅が一位じゃね?ナキ・ムシ?意外や!そんな、"aikoジャンキー"の声が聞こえて来るけれど、お許しください。TOP3の選定理由を読めば、わかってもらえる、はず。
では、TOP3とその理由です。
第3位 『瞳』 (彼女)
この曲は、aikoさんの友人が出産する直前に、aikoが「私に何ができることはないか」という思いから、新たな命が加わったその家族一人一人に向けて作った曲。このエピソードを知るaikoファンは多いはず。そして、ライブで聴くと必ず涙する曲でもある。私は、昨年LLA(ライブの名前)にて、この曲を聴いた際に、感極まってしまった。(男だけどね!)
車内には、もちろんのこと赤ちゃん連れのお母さんもいて、妊娠中の方も乗られている。 そんな黄昏時の車内で『瞳』を聴く。
「ああああ人生よぉ!!命がよ!」改めて、命の大切さに気づく19歳男子がここにいる。
第2位 『トンネル』(BABY)
この曲はaikoが車に乗っているときに出来た曲みたいだが、きっと電車でも当てはまる。
先ほどの瞳は理由らしい理由があったけれど、ここまでくると、もはや理由なくいい。なんとなく、いい。でも、ブログでそれは許されん!
この曲の制作経緯を伺ったことがないために、憶測で語ることとなるが、トンネル(=泥沼化した恋)を表している?そのトンネルから抜け出せることを願う自分と、でも、戻りたい、戻れないという想い。ただ、同じ道を歩んできたことは確か。。。揺るがない事実なのだ。。
先程も述べた通り、車内には様々な想いを抱えた人がいる。これまで異なった道を歩んできたことは確か。でも、通勤、通学の数分間は、同じ夕日を見て、同じ電車で帰宅する。毎日楽しい人もいて、毎日トンネルな人もいる。でも、数分間は同じ時間を共有できている。
なんか、恥ずかしくなってきたので、一位の発表でいいですか??
第1位 『 Aka』(時のシルエット)
本当は、時のシルエット全曲です!と紹介したかった..(ってくらい名盤)。
説明いるかなあ...aikoジャンキーの方ならもう想像しただけでも、、、涙涙涙な、はず。
とりあえず、聴いて!!!!(怒られそう)
だって、ジャケ写がたそがれだし!
たそがれ×aiko これはヤバイ
『 Aka』は、思い出深い曲なので、また必ず記事にしたい。
てか、aikoがいつも言っていること、「切ないは常にテーマです。」
そんなの、全曲黄昏時の京急線車内で聴いたら泣くやんか!
と、丸く収まってしまった。読んでいただきありがとうございました。aikoまだ聴いたことないという方、是非
京急さんと僕
第1章 小さな光を求めて生きる
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京急線をご存知だろうか。東京都港区泉岳寺駅から品川、羽田空港、横浜、横須賀、三浦半島などへと結ぶ総延長87.0kmの鉄道である。「120km/hの快特が早い!」「歌う電車」...そのようなイメージを持たれる方もいるであろう。
私はこの京急線をこよなく愛する一人である。私は「京急ファン」だ。鉄道ファンというより、京急ファンという別のジャンルがあると自分では思っている。今回はそんな京急と僕の出会いとその後について綴ってゆく。
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鉄道があまり好きではない方ならば、鉄道は交通機関であり、言うなればただの鉄の塊...。鉄道ファンとは理解され難いジャンルなのだろう。ただこれだけは理解していただきたい。鉄道ファンの多くは、鉄道をもはや「ひと」と同じだと思っているということ(きっとそう!)。そう、私も鉄道を、いや、京急をもはや「ひと」のように感じている。その点ご理解頂けると読み易いかもしれない。もう変な自分丸出しでこの先書き連ねる。その覚悟はできている。
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京急との出会い...それは小学5年生だろう。当時私は名古屋に住んでいて、父の仕事の都合で東京への引っ越しが決まっていた。昔から鉄道が好きだったため、母が「東京のでんしゃまるわかり!」(確かそんなタイトル)を私に買ってくれた。その本の中で、「歌う電車 けいきゅう線」という記事があり、それが出会いだったと記憶している。
その後、受験をして中学へ入学した。学校は京急の駅が最寄りだった。決して狙って受験したわけではない。京急の駅だとすらも知らず受験した。入学式の日。両親に連れられながら聴いた「ファソラシドレミファソ♪」(いわゆるドレミファインバータと呼ばれる電車の制御装置から鳴る音のこと。京急の一部の電車にはドイツのシーメンス社が製造したインバータ制御装置が設置されていて、長くなる、、YouTubeで検索を笑)その音を聴いて「これだ!!これが”歌う電車”か!」と胸が高鳴ったのは今でも忘れられない。二回目の出会い。これは運命感じていいはずだ...。
入学後は京急好きの仲間に恵まれたりなど、頭の中は京急だらけだった。暇さえあれば全72駅暗唱したり、車掌モノマネしたりなど...。とにかく京急を愛し続けた。
⬆︎乗車記録、車両のこと、気づいたこと書き込んだ「京急ノート」。
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ただ、高校入学後は京急に対する想いは変わっていった。いつしかこのノートの更新も止まった。決して興味を失ったわけではなく...。熱気が冷めたというか...。
高校卒業し、思うことは高校3年間の私にとっての京急の存在は「困ったら来るところ」であった。悲しいことがあれば必ず乗った。品川駅で電車を見続けた。来るたび、「やっぱ京急だよなあ」そう仲間と言っていた。京急に叱られては立ち直り、またダメになれば乗りに来て、叱られ、「やっぱ京急だよなあ」...こんな繰り返しである。
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夕方の京急が好きだった。この記事を読んで頂いている方、是非17時頃品川駅を出発する下りの普通電車に乗ろう。日が沈む頃、ゆっくりと各駅止まってゆく赤い電車。仕事帰りのサラリーマン、学生みんな何か思いを抱えながら...涙が誘われる。そんなの京急じゃなくても!!そう言われるかもしれないが、譲れない、京急でこれを味わおう。
私事だが、春からはもう京急とは離れた場で大学生をしている予定だ。回数は少なくなれど、何かあるたび会いに行きたい。そして、言うのだろう「やっぱ京急だよなあ。」
読者の皆様の心のよりどころはどこですか。