たそがれダイアリー

京急とaikoと柴田淳とZARDとちょっとのエッセイ

けんたくん 

よほどのことがない限り、家に籠っていなくちゃならない。そんな日々が続く。
 私は、特に何もすることがない時、自分の生まれてからこれまでを思い返すクセが昔からある。(どんなクセだよ)
 さすがに、1歳だとかそんな頃の思い出は記憶がないに等しいけれど、決まって思い返す起点は、小学1年生の入学式から。
 今とは違って、3月に桜が咲いてしまうような時代ではなかったから、あの日はピンクで染まった街にキラキラの小人がキラキラとした目で立っていた記憶。担任の先生から黄色い帽子を受け取って、帽子のサイズが合わなくって、、、とか、苗字が「わ」行ということもあって、クラスの前から後ろまで歩いて着席するまでのドキドキ感とか、、、くだらないことまですごく記憶している。
 そんな思い返しの過程の中で、ふと「あれ?」と声が出てしまうような記憶があった。

 それは、小学4年生の思い出。
 春先の思い出だろうか。4ねん3くみの河合せんせいのクラスには、なんだか落ち着かないクラスメイトがいた。授業中まともに座っていられない。奇声を発しては、廊下に出てしまう。そんなクラスメイトを皆はどう想っていたのか、そんなことは忘れてしまったのだけれど、彼にとって私は、というより、私にとって彼は後に大切な存在になってくる。
 そんなクラスメイトは未だに名字と下の名前もわかって、漢字でも書けるけれど、いちおう「けんたくん」としておこう。

 けんたくんは、私にはよく話してくれた。
 けんたくんは、私にだけ挨拶してくれた。

 今になっても、何故なのかわからない。
 けんたくんが、私には心を開いてくれるのを先生も知っていたのか、
 ある日音楽室の向こうで今日もぐるぐる廊下周りを歩くけんたくんを見た先生は、
 「〇〇くん!(私の名前)けんたくんをよろしく!」
 と言って、音楽室へ連れてくるよう指示をした。
 クラスのみんなには面白がられながらも、音楽室へ連れてくる任務は遂行できた。

 何度か、けんたくんを見兼ねたのか、先生が怒ってしまう場面もあった。それを見ては、なんだか胸が苦しくなったのは、うん、ちゃんと記憶に残っているな。


 全校生徒が1000人を超えるようないわゆるマンモス校だったけれど、不登校だとか、特別な対応を要する生徒のための「特別学級」の設定はなかった。
 そして、私は5年生の時に、東京に引っ越し、全校生徒が前校の10分の一ほどの小学校に転校するわけになるのだが、そこには、「特別学級」があった。

 「こまっているおともだちがいたらたすけてあげましょう」「どんなおともだちともなかよくしましょう」
 誰もが小学校で教わったこの言葉。
 この言葉を小学校を無事卒業なさったあなたは守れているだろうか?そして、私も守れているだろうか。
 今けんたくんはどこで何をしているだろうと考えた時に、、、、、。
 小学校にいるときは、この言葉は大いに守られていただろう。なんだかんだ、けんたくんも一緒に遠足も行ったし、運動会の時だっていた。ちょっとみんなと授業は受けられなかったかもしれないけれど、みんなと同じように行事には参加できていたな。

 いま、大学でも、どこでも、生活の場でけんたくんのような方に出会った時、その方に平等な対応が私は、みなさんは、できるだろうか。
 小学校でならったあの言葉は、校門を出れば無効になるなんてことはない。 
 でも、あれを教えていた先生は、校門を出た向こうでは、しっかりと実践できているのだろうか。

 けんたくんが私に心を開いてくれた理由はまぁ、どうだっていい。昔っから「接しやすい子だよね〜」なんて言われてきたから、きっと「害のない、攻撃されない安心な相手」と思ってくれていたのだろう。

 そんなことよりね、この記事を通じて伝えたいのは
 世の中には、「形だけの」処遇が多すぎないかという私からの問題提起である。
 「特別な支援を受けられる」学級を作る、お体の不自由な方のための優先席、バリアフリー対策、、、今で言うなら、所得が低くなってしまっている方への現金給付なとなど
 これらは困っている方への社会からの対応に当たる。

 でも、これでいいのかな、なんて私は思ったりもする。あの時、あの小学校に特別学級があって、けんたくんがそこに属していたとしたら、幸せだったのだろうか。
 優先席なんて設けなくったって、気づけば、良心で席を譲れないのか。
 確かに、お金がなくちゃ生活できない。でも、ケアは現金給付で事足りるのか。

 これはどちらかという答えは出ないけれど、こういった、私からすると「上部だけの」処置・処遇が昨今は多い気がしている。
 ある意味で、小学校で習った言葉に則っているようで、揚げ足をとっているような気がしている。
 ねえ、先生はどう思っているのだろう。もう、教わることがない小学校の先生。あんなこと習ったなって記憶でしか会えない。

 これ以上語っても、答えは見つからないな。でも、ちょっとでも私と同じような考えの方がいて、またはそんな考えもあったのかと思ってくれる方がいたらいいな、と考えている。

 困っている時に、困っている者同士で、自分のことだけじゃなくってさ、文句は飲み込んで。終わりの見えないトンネルはないからさ。

 『今日も何処かでけんたくんは笑っているのだろう。』

 そんなことを思いながら、手洗いうがい励行しましょう。