あの日のパン屋さん
切ない。こんなときに、優しい文章を書きたくなってしまう。
ある日の曇り空。そんなときに、私は、とある光景を思い返す。
バス停に1人立つ。次のバスは、15分後。そんなときに、ダラダラとスマホをいじってしまうような体になってしまった。
小学生のころ、スイミングスクールには、市営バスで通っていた。
そして、その最寄りのバス停のすぐ後ろには、やや古めかしいような、加えてミステリアスなパン屋さんがあった。
そのパン屋さんで味わった、あのクリームパンの味は今でも忘れられないものとなっている。
個人的な見解ではあるが、「味」というのは、ただ高級で新鮮な食材を用いることだけで高まるものではないかと思う。人間の味覚なんて、そんなもんだと思う。
思い出、ありがたみ、そういった可視化できないような、そしてうまく言葉で表せない、自分にはわかる「ホワ〜」とした、ものが、味を創り出しているように思える。
今だから言えることであるけれど、スイミングスクールなんて、ちっとも行きたい場所じゃあなかったけれど、そんなクリームパンが、いい思い出として残してくれている。
3月が、切なくなるためには、3月をゆっくりと過ごしてみるべきであろう。新しい季節、新しい生活を迎えるにあたっての、準備期間でもあるのだから。
今を生きる私たちは、ゆっくりとできる時間があまりないのではないだろうか。常に、何かに追われることの方が多いのではないだろうか。それは、情報がつでも手に入りやすくなったとか、さまざま理由があるだろう。
肌寒い3月の曇りの日。人目も気にせず、クリームパンを齧りながら、市バスを待つことのできた自分の方が、好きだ。たったの15分すらも、我慢ができずに、スマホを見つめてしまう体になってしまってさ。
なぜ、こんなにも、おちつくことのできない体になってしまったのだろうかと、思うようになる。そして、あの時の、クリームパンの味が、いい意味で、僕に語りかけてくれそうだ。美味しさとは、本質的には、そういったものなのかもしれない。
おそらく、このパン屋さんだと思う。東京に住んでいて、なおかつお出かけが厳しい昨今。ご紹介だけさせていただきます。また食べにいきたいな。
---愛知県 名古屋市 昭和区 「白十字コンフェクト」---
名古屋市交通局市営バス 滝川町バス停よりすぐ