たそがれダイアリー

京急とaikoと柴田淳とZARDとちょっとのエッセイ

人生の節目にいつもaikoがアルバムを出してくる。

 また今年も、この季節が来た。

 春になると、このブログは稼働し始める。

 そして、熱くなる頃に、更新が途絶える。

 そんなこんなで、4年ほど続けてきた。

 

 3日には、入社式を控えている。この記事を執筆しているのは、3月31日の夜。後少しで、学生生活を終えることとなる。

 こんな人間で、社会に出られるのだろうか....そんな不安を胸に秘め、寒い夜を過ごしている。

 どう生きればいいのだろう、何が正しいのだろう。つねに、答えを見つける旅が続く。きっと、死ぬまで答えは見つからないのだろう。見つからないからこそ、人は生きていられるのかもしれない。

 

 たくさんの人々に支えられていたのだと、漸く大学の卒業式当日に気がつくことができた。

 「あなたは愛情の深い人だから、周りに人が集まるのよ。」母からの1つのメールを読み、大学の広いキャンパスの傍で、一人泣いていた。

 大学という場は、ほんとうに自由だ。縛りもなく、好きに生きられた。なにか世のためになることをできたわけでもない。ただ、とにかく、少しだけ、生きる道筋を見つけられたような気がしている。

 こんなにも、周りに助けられ、愛してもらっていたのだと、卒業という最後になるまで、わからなかった。誰にも愛されないんだと、少し前の自分は、そう呟いていた。

 

 人生の節目にいつも、aikoがアルバムを出してくるような気がする。

 浪人生活、ひとりぼっちで「湿った夏の始まり」を聴いていた。

 友人を亡くした頃、「MayDream」を聴いていた。

 初恋が動き出した頃、「どうしたって伝えられないから」を聴いていた。

 震災直後、「時のシルエット」が流れていた。

 大学卒業後、入社式を迎える中、「今の二人をお互いが見ている」を嗜んでいる。

 大切な人が、引越し直前に、「アップルパイ」を焼いて、持ってきてくれた。

 「アップルパイが好きなの?」ーーーはい。

 「意外に甘いものが好きなんだね」ーーーよくご存知で。

 aikoは、いつも人を切なくさせる。

 

 「今の二人をお互いが見ている」

 私ともう一人を、さまざまな人に当てはめて考えていた。

 とにかく謝りたい人もいる。仲違いしてしまった友人、とにかく悲しい想いだけをさせてしまった、初恋のあの人。

 でも、「どうしたって伝えられないから」という想いの中で、どうすれば、そうした悲しさや、後悔を晴らすことができるのだろうか。

 もう、誰も悲しませない。悲しませたくない。そんな人間でありたい。

 とにかく、愛情深くありたい。冷たい大人にはなりたくない。

 こんな社会人の目標でいいのだろうか。

 

 学生であろうと、社会人になろうとも、aikoのメロディーラインは、流れ続ける。一つ一つのアルバムで、「あの頃」の私に、出会える。そして、出会うたびに、少しは、成長した自分を、自分に見せられるように、頑張りたい。

 

 あのときは、ごめんなさい。

 悲しみをどこか抱えている同士、わかり合いたかった。

 今は、ただ、遠いところから、メッセージを書くことしかできない。

 今の二人をお互いが見ていてほしい。

 毎日を、大切に。

 人を大切に。

 桜の木の下、君にいいことがあるように。

 

 あ、このブログは、社会人になっても、細々続けますよ。

 ちょっとした、居場所なので。

 もしも全てに迷ったら、またここで待ち合わせしよう。