たそがれダイアリー

京急とaikoと柴田淳とZARDとちょっとのエッセイ

京急さんと僕

 

第1章 小さな光を求めて生きる

 

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 京急線をご存知だろうか。東京都港区泉岳寺駅から品川、羽田空港、横浜、横須賀、三浦半島などへと結ぶ総延長87.0kmの鉄道である。「120km/hの快特が早い!」「歌う電車」...そのようなイメージを持たれる方もいるであろう。

 私はこの京急線をこよなく愛する一人である。私は「京急ファン」だ。鉄道ファンというより、京急ファンという別のジャンルがあると自分では思っている。今回はそんな京急と僕の出会いとその後について綴ってゆく。

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 鉄道があまり好きではない方ならば、鉄道は交通機関であり、言うなればただの鉄の塊...。鉄道ファンとは理解され難いジャンルなのだろう。ただこれだけは理解していただきたい。鉄道ファンの多くは、鉄道をもはや「ひと」と同じだと思っているということ(きっとそう!)。そう、私も鉄道を、いや、京急をもはや「ひと」のように感じている。その点ご理解頂けると読み易いかもしれない。もう変な自分丸出しでこの先書き連ねる。その覚悟はできている。

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 京急との出会い...それは小学5年生だろう。当時私は名古屋に住んでいて、父の仕事の都合で東京への引っ越しが決まっていた。昔から鉄道が好きだったため、母が「東京のでんしゃまるわかり!」(確かそんなタイトル)を私に買ってくれた。その本の中で、「歌う電車 けいきゅう線」という記事があり、それが出会いだったと記憶している。

 その後、受験をして中学へ入学した。学校は京急の駅が最寄りだった。決して狙って受験したわけではない。京急の駅だとすらも知らず受験した。入学式の日。両親に連れられながら聴いた「ファソラシドレミファソ♪」(いわゆるドレミファインバータと呼ばれる電車の制御装置から鳴る音のこと。京急の一部の電車にはドイツのシーメンス社が製造したインバータ制御装置が設置されていて、長くなる、、YouTubeで検索を笑)その音を聴いて「これだ!!これが”歌う電車”か!」と胸が高鳴ったのは今でも忘れられない。二回目の出会い。これは運命感じていいはずだ...。

 入学後は京急好きの仲間に恵まれたりなど、頭の中は京急だらけだった。暇さえあれば全72駅暗唱したり、車掌モノマネしたりなど...。とにかく京急を愛し続けた。

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⬆︎乗車記録、車両のこと、気づいたこと書き込んだ「京急ノート」。

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 ただ、高校入学後は京急に対する想いは変わっていった。いつしかこのノートの更新も止まった。決して興味を失ったわけではなく...。熱気が冷めたというか...。

 高校卒業し、思うことは高校3年間の私にとっての京急の存在は「困ったら来るところ」であった。悲しいことがあれば必ず乗った。品川駅で電車を見続けた。来るたび、「やっぱ京急だよなあ」そう仲間と言っていた。京急に叱られては立ち直り、またダメになれば乗りに来て、叱られ、「やっぱ京急だよなあ」...こんな繰り返しである。

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 夕方の京急が好きだった。この記事を読んで頂いている方、是非17時頃品川駅を出発する下りの普通電車に乗ろう。日が沈む頃、ゆっくりと各駅止まってゆく赤い電車。仕事帰りのサラリーマン、学生みんな何か思いを抱えながら...涙が誘われる。そんなの京急じゃなくても!!そう言われるかもしれないが、譲れない、京急でこれを味わおう。

 私事だが、春からはもう京急とは離れた場で大学生をしている予定だ。回数は少なくなれど、何かあるたび会いに行きたい。そして、言うのだろう「やっぱ京急だよなあ。」

 読者の皆様の心のよりどころはどこですか。