便利な世の中だけど、大切な「何か」を失っていないか?【aiko 湿った夏の始まり】
「カンタンらくらく〇〇!」
「スマホでサクッと 〇〇!」
最近こんなキャッチフレーズをよく見る。便利で嬉しい。でも、私はなんだか「悲しさ」をも感じる。
______________________
〈失った「何か」とは?〉
「どこか心が空っぽで、何かを失ってしまったかのよう」
そんな発言をしたことはないだろうか。
「何か」は人それぞれである。ここでは、私の考える失った「何か」を提示したい。
「真の人とのつながり」
ではないかと私は考えている。これは多くの人が感じているかもしれない。共感していただけたら幸いである。
______________________
〈そういえば、aikoのアルバム『湿った夏の始まり』ってヤバいよね〉
そうなんです、話はaikoに帰着します。ごめんなさい、好きなので。
(家に貼ってあるポスター)
このアルバムが発売されたのは去年の6月。タイトル通りの季節である。
aikoは様々な場で、このアルバム制作の経緯を話していた。その中でも私が一番覚えているのは、渋谷の話。
手短に説明すると、aikoが夜遅くのレコーディング終わりに渋谷の街を歩いていて、お酒で酔った人、コンビニ前で屯する人たちをみて、「あ、なんだ皆人の温もりを欲しがっているんだな。」と感じたという話。最近、結婚しなくていい・スマホさえあれば生きて行けるなど耳にする中で、その光景に目が溜まったのだという。
「人間、目と目を合わせていないと、気持ちは伝わらない。」「そばにいることが大切。」そんなメッセージがこのアルバムにはきっと込められている。
私は購入してから一週間ほど、「そういうことですよね、あいこ先生!」なんて心で呟きながら聴いていた。特に男子はこんな「人との温もりが〜」なんてマジメに言えないじゃないですか。でも、心の中でそう思っている人は多いはず。あいこ先生が代弁してくれているような感覚。だから、好きになったのかなあ...。
本当は一曲一曲感想を述べていきたいが、一つの記事では収まらない。
______________________
〈愛の言葉は、LINEで欲しいか?〉
私は去年一年間、浪人していました。浪人生は辛いというけれど、勉強を継続する辛さではなく、誰かそばにいないことの辛さである。学校があることがどれだけ素晴らしいことかと、痛感した。
春から大学生になれるようなので、高校の友達の勧めもあり、この前やっとLINE始めました。私は頑なに「メールの方が返信のドキドキ感があっていい」「むしろ文通とかの方がいい」なんて(今となっては)しょーもないことを言って登録せずにいた。
LINE、すごいですね 。なんか"友だち"が増えました。〇〇人って数で表示されるんですね。でも、冒頭でも述べた通り、"すごさ"の裏に「悲しさ」を覚えます。やっぱグループラインのつながりよりもグループで普通に会ってつながり深めたい。予定の時間を決めて、電車に乗って会いに行く。ここが大切。ここを面倒くさがりたくない。
たとえば、音楽。最近ではiTunesでボタン一つですぐに手に入る。でも、私はあまり利用しない。(別にiTunesが悪いわけではない)やっぱりCDで欲しい。同じ想いの方、いるはず。
aikoの新曲発売だ!どこのCDショップ行こうかな、もしCDショップにaikoいたらどうしよう、いざ買ってみた!、ビニールはゆっくり大切に剥がす、ジャケ写かわいいな、PCにインポートうまくいかないな、今回も歌詞素晴らしいな、、、、この過程が大切だと思う。
長々と書きましたが、この先もさらに世の中は便利になってゆくはず。そのなかでも「何か」の存在は忘れずにいたいものだ。それを忘れないためにも、今日も私はあいこ先生を聴く。
aikoに取り憑かれた 男子 コンタクト【aiko おやすみなさい】
唐突だが、aikoが好きだ。こんなこと本人前にしたら絶対に言えない。家族にも友達にも言ってない。ただ、ここでなら言えそう、aikoが好き。音楽について全く知識のないど素人だけど、aikoについて書きたい。
______________________
中学二年生の春休みのこと。私は部活の旅行で北海道旭川市にいた。その頃、祖父に買ってもらったボイスレコーダーでFMをよく聴いていた。(FMの機能も内蔵されていた)「よし、旭川のFM聴ける!」そんな気持ちで旅行に参加した。私たちは旭川駅周辺の東横インにて宿泊。他の部員が寝静まった頃、徐にボイスレコーダーを取り出し、旭川市コミュニティFM「FMりべーる(周波数87.3)」に合わせた。
様々なFMを聴くと、その土地のローカルな情報が手に入り、別世界に足を踏み入れたかのような気分になる。私はそこに楽しみを感じていた。深夜一時ごろで、疲れていたためにそのFMを聴きながら意識を失っていった。
次の日起きると、ボイスレコーダーに6時間ものデータが録音されていて驚いた。どうやら、FMをつけたまま寝てしまい、ボタンに誤って触れて「FMりべーる」を6時間も録音したのだという。私は道中、その6時間の録音を聴いた。
"絶対忘れたりしないよ あなたのこと"
録音はある曲の途中から始まった。そう、aikoをよく知る方ならわかるはず、aiko2001年発売のシングル『おやすみなさい』の歌詞である。
その日は札幌へと向かう行程で、JR富良野線の車内で、雪景色を眺めながら「なんだろう...なんかいい曲」そう思った。中学生なりの、直感。「なんかいい」
その時は誰の曲かも知らず、ただただ6時間の録音のうち始めの5分だけを何度も繰り返し聴いた。
______________________
月日が経って気づいた。「いや、てか何の曲?これ?」アホか。なぜ何の曲かも知らず聴き続けられるのか!!今の自分だったら、
「この曲はね、aikoっていう偉大なアーティストの曲でね、2001年の発売でね、秋 そばにいるよ っていうアルバムにも収録されているんだよ。」
こう、答えることできるんだけど。
スマホを当時持っていなかった自分は、とにかくボイスレコーダーから聞こえる歌詞を紙に書いた。
親に「パソコン貸して」がなかなか言えず、学校のパソコン室で「最後のおやすみ じゃあね おやすみ」と検索したのはいい思い出である。
Yahoo! JAPANからの回答
「おやすみなさい-aiko」
★
______________________
つまり、私は旭川でaikoというアーティストに出会ったことになる。その出会いの日から今まで、私はaikoを聴き続けている。これは欠かしたことがない。継続が苦手なはずなんだけど...。もう、取り憑かれている。最近、aikoはライブで「aikoだけ聴いて、浮気しないで。」とファンに向けて伝えているそうだが、「そんなの当たり前じゃん!浮気しないよ!」私以外の"aikoジャンキー"もそう思っているはず。
aikoの魅力は語りつくせないほどだ。
京急さんと僕
第1章 小さな光を求めて生きる
______________________
京急線をご存知だろうか。東京都港区泉岳寺駅から品川、羽田空港、横浜、横須賀、三浦半島などへと結ぶ総延長87.0kmの鉄道である。「120km/hの快特が早い!」「歌う電車」...そのようなイメージを持たれる方もいるであろう。
私はこの京急線をこよなく愛する一人である。私は「京急ファン」だ。鉄道ファンというより、京急ファンという別のジャンルがあると自分では思っている。今回はそんな京急と僕の出会いとその後について綴ってゆく。
______________________
鉄道があまり好きではない方ならば、鉄道は交通機関であり、言うなればただの鉄の塊...。鉄道ファンとは理解され難いジャンルなのだろう。ただこれだけは理解していただきたい。鉄道ファンの多くは、鉄道をもはや「ひと」と同じだと思っているということ(きっとそう!)。そう、私も鉄道を、いや、京急をもはや「ひと」のように感じている。その点ご理解頂けると読み易いかもしれない。もう変な自分丸出しでこの先書き連ねる。その覚悟はできている。
______________________
京急との出会い...それは小学5年生だろう。当時私は名古屋に住んでいて、父の仕事の都合で東京への引っ越しが決まっていた。昔から鉄道が好きだったため、母が「東京のでんしゃまるわかり!」(確かそんなタイトル)を私に買ってくれた。その本の中で、「歌う電車 けいきゅう線」という記事があり、それが出会いだったと記憶している。
その後、受験をして中学へ入学した。学校は京急の駅が最寄りだった。決して狙って受験したわけではない。京急の駅だとすらも知らず受験した。入学式の日。両親に連れられながら聴いた「ファソラシドレミファソ♪」(いわゆるドレミファインバータと呼ばれる電車の制御装置から鳴る音のこと。京急の一部の電車にはドイツのシーメンス社が製造したインバータ制御装置が設置されていて、長くなる、、YouTubeで検索を笑)その音を聴いて「これだ!!これが”歌う電車”か!」と胸が高鳴ったのは今でも忘れられない。二回目の出会い。これは運命感じていいはずだ...。
入学後は京急好きの仲間に恵まれたりなど、頭の中は京急だらけだった。暇さえあれば全72駅暗唱したり、車掌モノマネしたりなど...。とにかく京急を愛し続けた。
⬆︎乗車記録、車両のこと、気づいたこと書き込んだ「京急ノート」。
______________________
ただ、高校入学後は京急に対する想いは変わっていった。いつしかこのノートの更新も止まった。決して興味を失ったわけではなく...。熱気が冷めたというか...。
高校卒業し、思うことは高校3年間の私にとっての京急の存在は「困ったら来るところ」であった。悲しいことがあれば必ず乗った。品川駅で電車を見続けた。来るたび、「やっぱ京急だよなあ」そう仲間と言っていた。京急に叱られては立ち直り、またダメになれば乗りに来て、叱られ、「やっぱ京急だよなあ」...こんな繰り返しである。
______________________
夕方の京急が好きだった。この記事を読んで頂いている方、是非17時頃品川駅を出発する下りの普通電車に乗ろう。日が沈む頃、ゆっくりと各駅止まってゆく赤い電車。仕事帰りのサラリーマン、学生みんな何か思いを抱えながら...涙が誘われる。そんなの京急じゃなくても!!そう言われるかもしれないが、譲れない、京急でこれを味わおう。
私事だが、春からはもう京急とは離れた場で大学生をしている予定だ。回数は少なくなれど、何かあるたび会いに行きたい。そして、言うのだろう「やっぱ京急だよなあ。」
読者の皆様の心のよりどころはどこですか。