たそがれダイアリー

京急とaikoと柴田淳とZARDとちょっとのエッセイ

チャイムが鳴らない日々をどう生きるか。

 切ない

 「悲しさ・寂しさなどで、胸が締めつけられるような気持だ。

 儚い

 「頼みにできる確かなところがない。淡くて消えやすい。無常だ。

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 「切り捨てた何かで今があるなら〜」

 あいみょんの歌詞が頭から離れない。「切り捨てた何か」がある人は、何かの選択をした人である。

 『人は、日常多くの場面で、トレード・オフに直面し、合理的に判断をする。』

 (ミクロ)経済学の教科書は、ほとんど多くの教科書が、初めにこの議論を始める。どちらともに、同時になしえないことがある状態が、トレード・オフである。

 『そのトレード・オフに迫られると、合理的な人は、「機会費用」を見分け、判断を下す。』

 経済学を学ぶと、初めに覚えさせられるのが、この「機会費用」ではないだろうか。

 そう、この機会費用こそが、「切り捨てた何か」なのだ。

 例として、経済学で労働市場を考察する際に、まず、「人は、労働と余暇のトレード・オフに直面している」と、記述がなされている。

 つまり、今日頑張ってアルバイトに行き、稼ぐことと、友達と遊びに行くことは同時に行うことができない。

 そのなかで、私たちは無意識ながらにも、「切り捨てる何か」を考え、合理的(本当か?)判断を下す。

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 『世界がひとつになるまで

 YouTubeで、「小学校 音楽」と検索していた。

 小学校の音楽の授業で歌う曲はどれも、好きだった記憶がある。テレビやラジオでも滅多に聞くことのない曲ばかりだったようにも感じられる。

 『スマイル・アゲイン』、『すてきな友達』、『未来への賛歌』、『パフ』、『まっかな秋』、『ビリーブ』、『tomorrow』、『U & I』、、、など

 それぞれの学校ごとで扱う曲目に差はあるだろうが、どれも好きだ。「ぼくらはともだち!なかよくしよう!あしたもわらっていこう!」みたいな歌詞が目立ち、少し恥ずかしくなってしまうのだが、「ココ」が落ち着いてしまう。

 決して小学校の思い出がよかったとか、そういったことでもないのだが、幸せになりたいのなら、小学校に答えが眠っているのではないかと最近本気で考えている。

 大人こそ、例えば犯罪を犯した人は、刑務所ではなく、小学校再入学にしたほうが、よっぽど心が浄化されて出てきそうな気がしてしまう。

 会社で、「朝の音楽」とか言って、皆で歌ってから勤務したら、営業成績伸びそうな気もしている(まあこのご時世「宗教くさい〜」とか言われて終わるだけなのだろうけどね)

 今だからこそ、小学校の授業を真面目に受けたいと思ってしまう。

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 『そのままの君でいて』(岡本真夜

 記憶を音楽で蘇らせることはよくあることかもしれない。それこそ、小学校の合唱で歌った曲、お昼の放送で流れていた曲、アルバイト先の店内BGMで聴いた曲など、、、、

 aiko三国駅』を聴くと、なぜだか3時間授業で早めにおうちに帰り、そのまま公園に遊びに行くときの「ワクワク」感と、17時で帰らなくていけなくなるあの頃の「さびしさ」が蘇る。

 aiko『予告』を聴くと、高校三年生のセンター試験前の「The絶望感」を蘇らせ、あの頃の自分と対話を試みることとなる。

 岡本真夜そのままの君でいて』は、どうやら、大学2年生を思い出させる曲になりそうである。

 今年は、(多くの皆がそうであるが)「ひとりぼっち」であることが多かったが、私にとっては、(別に何もこわくない)「ひとりぼっち」であった。

 理由は簡単で、以前に嫌と言うほど「ひとりぼっち」を経験しているからだ。

 だからこそいえる、

 「私たちは、チャイムが鳴らず、リコーダーの音が聞こえない日々に、慣れてしまってはならないのだ。」

 以前の多くの「無駄」に気が付いたとしても、切り捨ててもいい「無駄」と、切り捨ててはならない「無駄」がある。

 社会は、合理的を求めても、それに抗う力を潜在的に持ち合わせていて欲しい。

 無駄を許せなくなるその心は、狭い世界へと招待を受けることになる。

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 キンコンカンコンに支配されて、

 キンコンカンコンに戻りたくなる。

 

 生まれてこの方「オギャー」のチャイムはなったままで、終わりのチャイムは聞くことがないのだろう。

 

 ボーッと手をつながれ、ずっと地面のタイルの規則性を見出しながら、幼稚園に向かい

 黄色い地下鉄に乗るときだけ嬉しくなって

 キンコンカンコン生活が始まって

 美味しくない牛乳を我慢して

 興味もないゲームの話には耳を傾けず

 どこか変なやつだと馬鹿にされながら

 キンコンカンコンは守りながら

 マニュアル通りで

 黄色い帽子に背中にまっくろくろすけ

 ちっとも泣きもせず6年間終え

 桜並木と緑色の似合わないネクタイ

 赤い電車に心を寄せて

 少しは明るくなって

 キンコンカンコン守り続けて

 今度は泣きながら6年終えていった

 キンコンカンコン一年聞かずに

 キンコンカンコン真っ暗な道

 誰もチャイムを鳴らしてくれずに

 誰かを探し続けた

 また下を向きながら、地面のタイルを見つめる

 気がついたら

 またチャイムが鳴っていた

 次のチャイムはどこか頼りなかった

 青い看板を掲げたお店にただ一人

 鳴り止まないチャイムに怯えつつ

 あの頃のチャイムを求めてしまう

 それでいてあのチャイムがもう鳴らないことをわかっていて

 次は自分でチャイムを鳴らさないといけなくなった

 次は誰か、大切な誰かのために

 チャイムを鳴らせるようになりたい

 そんなもんだろ、

 

 チャイムがならない日々であっても、

 リコーダーの音色が聞こえてこなくとも。