たそがれダイアリー

京急とaikoと柴田淳とZARDとちょっとのエッセイ

人生の節目にいつもaikoがアルバムを出してくる。

 また今年も、この季節が来た。

 春になると、このブログは稼働し始める。

 そして、熱くなる頃に、更新が途絶える。

 そんなこんなで、4年ほど続けてきた。

 

 3日には、入社式を控えている。この記事を執筆しているのは、3月31日の夜。後少しで、学生生活を終えることとなる。

 こんな人間で、社会に出られるのだろうか....そんな不安を胸に秘め、寒い夜を過ごしている。

 どう生きればいいのだろう、何が正しいのだろう。つねに、答えを見つける旅が続く。きっと、死ぬまで答えは見つからないのだろう。見つからないからこそ、人は生きていられるのかもしれない。

 

 たくさんの人々に支えられていたのだと、漸く大学の卒業式当日に気がつくことができた。

 「あなたは愛情の深い人だから、周りに人が集まるのよ。」母からの1つのメールを読み、大学の広いキャンパスの傍で、一人泣いていた。

 大学という場は、ほんとうに自由だ。縛りもなく、好きに生きられた。なにか世のためになることをできたわけでもない。ただ、とにかく、少しだけ、生きる道筋を見つけられたような気がしている。

 こんなにも、周りに助けられ、愛してもらっていたのだと、卒業という最後になるまで、わからなかった。誰にも愛されないんだと、少し前の自分は、そう呟いていた。

 

 人生の節目にいつも、aikoがアルバムを出してくるような気がする。

 浪人生活、ひとりぼっちで「湿った夏の始まり」を聴いていた。

 友人を亡くした頃、「MayDream」を聴いていた。

 初恋が動き出した頃、「どうしたって伝えられないから」を聴いていた。

 震災直後、「時のシルエット」が流れていた。

 大学卒業後、入社式を迎える中、「今の二人をお互いが見ている」を嗜んでいる。

 大切な人が、引越し直前に、「アップルパイ」を焼いて、持ってきてくれた。

 「アップルパイが好きなの?」ーーーはい。

 「意外に甘いものが好きなんだね」ーーーよくご存知で。

 aikoは、いつも人を切なくさせる。

 

 「今の二人をお互いが見ている」

 私ともう一人を、さまざまな人に当てはめて考えていた。

 とにかく謝りたい人もいる。仲違いしてしまった友人、とにかく悲しい想いだけをさせてしまった、初恋のあの人。

 でも、「どうしたって伝えられないから」という想いの中で、どうすれば、そうした悲しさや、後悔を晴らすことができるのだろうか。

 もう、誰も悲しませない。悲しませたくない。そんな人間でありたい。

 とにかく、愛情深くありたい。冷たい大人にはなりたくない。

 こんな社会人の目標でいいのだろうか。

 

 学生であろうと、社会人になろうとも、aikoのメロディーラインは、流れ続ける。一つ一つのアルバムで、「あの頃」の私に、出会える。そして、出会うたびに、少しは、成長した自分を、自分に見せられるように、頑張りたい。

 

 あのときは、ごめんなさい。

 悲しみをどこか抱えている同士、わかり合いたかった。

 今は、ただ、遠いところから、メッセージを書くことしかできない。

 今の二人をお互いが見ていてほしい。

 毎日を、大切に。

 人を大切に。

 桜の木の下、君にいいことがあるように。

 

 あ、このブログは、社会人になっても、細々続けますよ。

 ちょっとした、居場所なので。

 もしも全てに迷ったら、またここで待ち合わせしよう。

 

 

 

けんたくん 

よほどのことがない限り、家に籠っていなくちゃならない。そんな日々が続く。
 私は、特に何もすることがない時、自分の生まれてからこれまでを思い返すクセが昔からある。(どんなクセだよ)
 さすがに、1歳だとかそんな頃の思い出は記憶がないに等しいけれど、決まって思い返す起点は、小学1年生の入学式から。
 今とは違って、3月に桜が咲いてしまうような時代ではなかったから、あの日はピンクで染まった街にキラキラの小人がキラキラとした目で立っていた記憶。担任の先生から黄色い帽子を受け取って、帽子のサイズが合わなくって、、、とか、苗字が「わ」行ということもあって、クラスの前から後ろまで歩いて着席するまでのドキドキ感とか、、、くだらないことまですごく記憶している。
 そんな思い返しの過程の中で、ふと「あれ?」と声が出てしまうような記憶があった。

 それは、小学4年生の思い出。
 春先の思い出だろうか。4ねん3くみの河合せんせいのクラスには、なんだか落ち着かないクラスメイトがいた。授業中まともに座っていられない。奇声を発しては、廊下に出てしまう。そんなクラスメイトを皆はどう想っていたのか、そんなことは忘れてしまったのだけれど、彼にとって私は、というより、私にとって彼は後に大切な存在になってくる。
 そんなクラスメイトは未だに名字と下の名前もわかって、漢字でも書けるけれど、いちおう「けんたくん」としておこう。

 けんたくんは、私にはよく話してくれた。
 けんたくんは、私にだけ挨拶してくれた。

 今になっても、何故なのかわからない。
 けんたくんが、私には心を開いてくれるのを先生も知っていたのか、
 ある日音楽室の向こうで今日もぐるぐる廊下周りを歩くけんたくんを見た先生は、
 「〇〇くん!(私の名前)けんたくんをよろしく!」
 と言って、音楽室へ連れてくるよう指示をした。
 クラスのみんなには面白がられながらも、音楽室へ連れてくる任務は遂行できた。

 何度か、けんたくんを見兼ねたのか、先生が怒ってしまう場面もあった。それを見ては、なんだか胸が苦しくなったのは、うん、ちゃんと記憶に残っているな。


 全校生徒が1000人を超えるようないわゆるマンモス校だったけれど、不登校だとか、特別な対応を要する生徒のための「特別学級」の設定はなかった。
 そして、私は5年生の時に、東京に引っ越し、全校生徒が前校の10分の一ほどの小学校に転校するわけになるのだが、そこには、「特別学級」があった。

 「こまっているおともだちがいたらたすけてあげましょう」「どんなおともだちともなかよくしましょう」
 誰もが小学校で教わったこの言葉。
 この言葉を小学校を無事卒業なさったあなたは守れているだろうか?そして、私も守れているだろうか。
 今けんたくんはどこで何をしているだろうと考えた時に、、、、、。
 小学校にいるときは、この言葉は大いに守られていただろう。なんだかんだ、けんたくんも一緒に遠足も行ったし、運動会の時だっていた。ちょっとみんなと授業は受けられなかったかもしれないけれど、みんなと同じように行事には参加できていたな。

 いま、大学でも、どこでも、生活の場でけんたくんのような方に出会った時、その方に平等な対応が私は、みなさんは、できるだろうか。
 小学校でならったあの言葉は、校門を出れば無効になるなんてことはない。 
 でも、あれを教えていた先生は、校門を出た向こうでは、しっかりと実践できているのだろうか。

 けんたくんが私に心を開いてくれた理由はまぁ、どうだっていい。昔っから「接しやすい子だよね〜」なんて言われてきたから、きっと「害のない、攻撃されない安心な相手」と思ってくれていたのだろう。

 そんなことよりね、この記事を通じて伝えたいのは
 世の中には、「形だけの」処遇が多すぎないかという私からの問題提起である。
 「特別な支援を受けられる」学級を作る、お体の不自由な方のための優先席、バリアフリー対策、、、今で言うなら、所得が低くなってしまっている方への現金給付なとなど
 これらは困っている方への社会からの対応に当たる。

 でも、これでいいのかな、なんて私は思ったりもする。あの時、あの小学校に特別学級があって、けんたくんがそこに属していたとしたら、幸せだったのだろうか。
 優先席なんて設けなくったって、気づけば、良心で席を譲れないのか。
 確かに、お金がなくちゃ生活できない。でも、ケアは現金給付で事足りるのか。

 これはどちらかという答えは出ないけれど、こういった、私からすると「上部だけの」処置・処遇が昨今は多い気がしている。
 ある意味で、小学校で習った言葉に則っているようで、揚げ足をとっているような気がしている。
 ねえ、先生はどう思っているのだろう。もう、教わることがない小学校の先生。あんなこと習ったなって記憶でしか会えない。

 これ以上語っても、答えは見つからないな。でも、ちょっとでも私と同じような考えの方がいて、またはそんな考えもあったのかと思ってくれる方がいたらいいな、と考えている。

 困っている時に、困っている者同士で、自分のことだけじゃなくってさ、文句は飲み込んで。終わりの見えないトンネルはないからさ。

 『今日も何処かでけんたくんは笑っているのだろう。』

 そんなことを思いながら、手洗いうがい励行しましょう。

あの日のパン屋さん

切ない。こんなときに、優しい文章を書きたくなってしまう。

ある日の曇り空。そんなときに、私は、とある光景を思い返す。

 バス停に1人立つ。次のバスは、15分後。そんなときに、ダラダラとスマホをいじってしまうような体になってしまった。
 小学生のころ、スイミングスクールには、市営バスで通っていた。
 そして、その最寄りのバス停のすぐ後ろには、やや古めかしいような、加えてミステリアスなパン屋さんがあった。
 
 そのパン屋さんで味わった、あのクリームパンの味は今でも忘れられないものとなっている。
 個人的な見解ではあるが、「味」というのは、ただ高級で新鮮な食材を用いることだけで高まるものではないかと思う。人間の味覚なんて、そんなもんだと思う。
 思い出、ありがたみ、そういった可視化できないような、そしてうまく言葉で表せない、自分にはわかる「ホワ〜」とした、ものが、味を創り出しているように思える。

 今だから言えることであるけれど、スイミングスクールなんて、ちっとも行きたい場所じゃあなかったけれど、そんなクリームパンが、いい思い出として残してくれている。

 3月が、切なくなるためには、3月をゆっくりと過ごしてみるべきであろう。新しい季節、新しい生活を迎えるにあたっての、準備期間でもあるのだから。

 今を生きる私たちは、ゆっくりとできる時間があまりないのではないだろうか。常に、何かに追われることの方が多いのではないだろうか。それは、情報がつでも手に入りやすくなったとか、さまざま理由があるだろう。

 肌寒い3月の曇りの日。人目も気にせず、クリームパンを齧りながら、市バスを待つことのできた自分の方が、好きだ。たったの15分すらも、我慢ができずに、スマホを見つめてしまう体になってしまってさ。

 なぜ、こんなにも、おちつくことのできない体になってしまったのだろうかと、思うようになる。そして、あの時の、クリームパンの味が、いい意味で、僕に語りかけてくれそうだ。美味しさとは、本質的には、そういったものなのかもしれない。 

 

おそらく、このパン屋さんだと思う。東京に住んでいて、なおかつお出かけが厳しい昨今。ご紹介だけさせていただきます。また食べにいきたいな。

 

 

---愛知県 名古屋市 昭和区 「白十字コンフェクト」---

名古屋市営地下鉄鶴舞線 いりなか駅より徒歩10分ほど

名古屋市交通局市営バス 滝川町バス停よりすぐ

https://tabelog.com/aichi/A2301/A230108/23039534/

大学四年生のせつない季節のある日に。

何の変哲もない毎日に

特筆すべきこともないのに、想いを綴る。

そんな毎日のどこかの日に、いつか戻りたくなってしまう自分を知っているからこそ、人は日記を残したくなるのかもしれない。

 

せつない毎日が続く。

卒業がほぼ確定して、時間が有り余る大学四年生。

世間は「いましか遊ぶ時間ないんだから」と、あまりにも自由すぎる海に放たれた私に言う。

 

就職先も決まった。卒業もほぼ決まっている。

足りないものなんてないはずなのに

何故だか毎日がせつない。

 

大学四年生は、中学二年生並みに、不安定な精神状態に陥ると思う。

数少ない友人も、進路が確定したらしい。

みんな、次の道に向けて、別の道に向けて歩もうとしている。

 

何を夢見て

何がしたくて

四年間を過ごしてきたのだろう。

「今しかできないことを」と言われるたびに、胸が苦しい。

 

10月の季節の変わり目の今日。

これからさらに寒くなれば、

また春が来てしまう。

春からは、きっといまより自由でない自分になるのだろう。

 

明るくてちょっぴり悲しいのが春。

そして、ずっと切ないのが今の季節。

 

人、一人を大切にすることすらできなかった。

想いがずっと伝えられなかったし、伝わらなかった。

なんとか悲しみを紛らわそうと、何もない毎日を無理矢理に忙しくしてきたのだけれど、それももう限界。

何もできない、何も持っていないからこそ、誰かただ一人だけでも、大切にしてみたかった。それもできなかった。

 

自分が今どこにいて、何者なのか、何を得てきたのか、不安になってしまった。

8月の暑い日、中高の恩師に手紙を出した。

そして、この10月のせつない季節の変わり目の今日この日に、返信が届いた。

 

"内定おめでとう

残りの学生生活を有意義にお過ごしください。"

 

とにかく、自分が何であるかを再確認したかった。

 

10月26日の今日は寒かったよ。

せつなかったよ。

忘れないでね。

ここに戻ってくることがあるかもしれないから、私はこの日を記録した。

 

またね。

 

 

拾ってくれた優しさを大切にする

13:00起床、絶望
 スマホの通知、ゼロ

 もう逃げ出したい。特にやりたいこともない。何者でもない。
 近くの公園に行く。かわいい声が聞こえてくる。

 18:00公園のベンチ
 静かになる。向こうのマンションから、温かな光が漏れる。
 必要とされていないことがわかった時、どう生きればいいのだろうか。

 音楽はただ今その時だけでしか、僕を助けない。
 絶望の時には、絶望的な曲が似合う。陽が落ちたその時は、切ない曲が、よく似合う。

 何者でもない人間が、本当に何者でもなくなる時を知ったつい3年ほど前。

 咳が止まらない日があった。全てに嘘をつき逃げていた。

 そんな日々を過ごしていた。もう何もできない人。何者でもない人。よく理解した上で、与えられた場で精一杯頑張ろうと思った。

 誰が相手してくれるのだろう。誰も相手にしたくないだろう。だから、もう一人で生きていこう。全て、一人で成し遂げよう。

 ただ、意外にも、想像した世界は、そこまで暗いものではなかった。

 こんな何者でもない、何もできない自分を拾ってくれた場所、人は、絶対に大切にしようと、本気で思った。

 向こうはそこまで思っていなくとも、本気で大切にしなければならない。

 絶対に裏切らない、こんな自分を拾ってくれた場所、人は。

 あの日消えたかった公園で佇む黒い誰かに言ってやりたい、もっと人を信じなさいと、そして、まだ少しは希望があるんだよ、と。

 ただ、何かがあるたび訪れてしまう。この公園。

チャイムが鳴らない日々をどう生きるか。

 切ない

 「悲しさ・寂しさなどで、胸が締めつけられるような気持だ。

 儚い

 「頼みにできる確かなところがない。淡くて消えやすい。無常だ。

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 「切り捨てた何かで今があるなら〜」

 あいみょんの歌詞が頭から離れない。「切り捨てた何か」がある人は、何かの選択をした人である。

 『人は、日常多くの場面で、トレード・オフに直面し、合理的に判断をする。』

 (ミクロ)経済学の教科書は、ほとんど多くの教科書が、初めにこの議論を始める。どちらともに、同時になしえないことがある状態が、トレード・オフである。

 『そのトレード・オフに迫られると、合理的な人は、「機会費用」を見分け、判断を下す。』

 経済学を学ぶと、初めに覚えさせられるのが、この「機会費用」ではないだろうか。

 そう、この機会費用こそが、「切り捨てた何か」なのだ。

 例として、経済学で労働市場を考察する際に、まず、「人は、労働と余暇のトレード・オフに直面している」と、記述がなされている。

 つまり、今日頑張ってアルバイトに行き、稼ぐことと、友達と遊びに行くことは同時に行うことができない。

 そのなかで、私たちは無意識ながらにも、「切り捨てる何か」を考え、合理的(本当か?)判断を下す。

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 『世界がひとつになるまで

 YouTubeで、「小学校 音楽」と検索していた。

 小学校の音楽の授業で歌う曲はどれも、好きだった記憶がある。テレビやラジオでも滅多に聞くことのない曲ばかりだったようにも感じられる。

 『スマイル・アゲイン』、『すてきな友達』、『未来への賛歌』、『パフ』、『まっかな秋』、『ビリーブ』、『tomorrow』、『U & I』、、、など

 それぞれの学校ごとで扱う曲目に差はあるだろうが、どれも好きだ。「ぼくらはともだち!なかよくしよう!あしたもわらっていこう!」みたいな歌詞が目立ち、少し恥ずかしくなってしまうのだが、「ココ」が落ち着いてしまう。

 決して小学校の思い出がよかったとか、そういったことでもないのだが、幸せになりたいのなら、小学校に答えが眠っているのではないかと最近本気で考えている。

 大人こそ、例えば犯罪を犯した人は、刑務所ではなく、小学校再入学にしたほうが、よっぽど心が浄化されて出てきそうな気がしてしまう。

 会社で、「朝の音楽」とか言って、皆で歌ってから勤務したら、営業成績伸びそうな気もしている(まあこのご時世「宗教くさい〜」とか言われて終わるだけなのだろうけどね)

 今だからこそ、小学校の授業を真面目に受けたいと思ってしまう。

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 『そのままの君でいて』(岡本真夜

 記憶を音楽で蘇らせることはよくあることかもしれない。それこそ、小学校の合唱で歌った曲、お昼の放送で流れていた曲、アルバイト先の店内BGMで聴いた曲など、、、、

 aiko三国駅』を聴くと、なぜだか3時間授業で早めにおうちに帰り、そのまま公園に遊びに行くときの「ワクワク」感と、17時で帰らなくていけなくなるあの頃の「さびしさ」が蘇る。

 aiko『予告』を聴くと、高校三年生のセンター試験前の「The絶望感」を蘇らせ、あの頃の自分と対話を試みることとなる。

 岡本真夜そのままの君でいて』は、どうやら、大学2年生を思い出させる曲になりそうである。

 今年は、(多くの皆がそうであるが)「ひとりぼっち」であることが多かったが、私にとっては、(別に何もこわくない)「ひとりぼっち」であった。

 理由は簡単で、以前に嫌と言うほど「ひとりぼっち」を経験しているからだ。

 だからこそいえる、

 「私たちは、チャイムが鳴らず、リコーダーの音が聞こえない日々に、慣れてしまってはならないのだ。」

 以前の多くの「無駄」に気が付いたとしても、切り捨ててもいい「無駄」と、切り捨ててはならない「無駄」がある。

 社会は、合理的を求めても、それに抗う力を潜在的に持ち合わせていて欲しい。

 無駄を許せなくなるその心は、狭い世界へと招待を受けることになる。

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 キンコンカンコンに支配されて、

 キンコンカンコンに戻りたくなる。

 

 生まれてこの方「オギャー」のチャイムはなったままで、終わりのチャイムは聞くことがないのだろう。

 

 ボーッと手をつながれ、ずっと地面のタイルの規則性を見出しながら、幼稚園に向かい

 黄色い地下鉄に乗るときだけ嬉しくなって

 キンコンカンコン生活が始まって

 美味しくない牛乳を我慢して

 興味もないゲームの話には耳を傾けず

 どこか変なやつだと馬鹿にされながら

 キンコンカンコンは守りながら

 マニュアル通りで

 黄色い帽子に背中にまっくろくろすけ

 ちっとも泣きもせず6年間終え

 桜並木と緑色の似合わないネクタイ

 赤い電車に心を寄せて

 少しは明るくなって

 キンコンカンコン守り続けて

 今度は泣きながら6年終えていった

 キンコンカンコン一年聞かずに

 キンコンカンコン真っ暗な道

 誰もチャイムを鳴らしてくれずに

 誰かを探し続けた

 また下を向きながら、地面のタイルを見つめる

 気がついたら

 またチャイムが鳴っていた

 次のチャイムはどこか頼りなかった

 青い看板を掲げたお店にただ一人

 鳴り止まないチャイムに怯えつつ

 あの頃のチャイムを求めてしまう

 それでいてあのチャイムがもう鳴らないことをわかっていて

 次は自分でチャイムを鳴らさないといけなくなった

 次は誰か、大切な誰かのために

 チャイムを鳴らせるようになりたい

 そんなもんだろ、

 

 チャイムがならない日々であっても、

 リコーダーの音色が聞こえてこなくとも。

 

 

「一回ミスったらGAMEOVER」の社会で...だれが生きづらくさせた?

 なぜ?まさか?と、そんな人でも命を自ら絶っていく、そんな社会だ。

 一見、日々を謳歌していると思われるような人でも、心を叩くと悲しい音がする。そんな人間で溢れかえった社会なのかもしれない。

 1日三食ご飯を食べることができて、四六時中灯が灯り、水に恵まれて、容易に会いたい人に会えて、、、そんな恵まれた社会なのにもかかわらず、どうして、そんなにも生きづらい?

 

 ご飯が食べたくて、食料を探し求めに行く必要もない。水が飲みたくて、川までいく必要もない。会いたい人を探し続ける必要もない。

 そんな社会で生きる私たちは、次に何を求めて生きているのだろうか。もう、何も求めるものなんてないじゃないか。そう、もう私たちはこれ以上求めるものはないのだ。私はそう断言したい。そして、このことに、多くの人が、無意識にも気がついてしまっているのだ。

 ウイルスにも勝てない、水害にも勝てない、地震にも勝てない、それが私たちなのだ。歴史の上でも、私たちは、そんな自然を相手に戦ったことはないから、つまり私たちは、自然に降伏していると言ってもいいであろう。

 だからこそ、私たちは、謙虚に、もう求めるものはないのだから、日々ご飯が食べられて、明かりが灯り、好きな人がそばにいる、そんな生活をこんなにも素晴らしい生活を、感謝して生きているだけでいいのだ。加えて、そんな生活を、すべての人が享受できることを、願うだけなのだ。

 

 求めるものがなくなった、私たちは、恐ろしい生命体に変容しようとしている。

 求めるものがなくなった今、私たちは、隣人を許すことができなくなった。

 自らにとって、不都合な現実を突きつけられることが、もはや生きることを表していたのにもかかわらず、それが今の世の中で起きることが、非常に稀なのだ。だからこそ、自分にとって、、不都合な現実を突き付けたり、自らの価値観に合わなかったり、周りと違うことをする人々が、許せなくなった。

 もし明日、電力会社が休みたいと、電気が通らなくなったら?

 もし明日、お母さんが、ご飯を作ってくれなかったら?

 非常に、残念ではあるが、今の世の中では、かなりの人が、電力会社をSNS叩き上げたり、母親を殺傷する事件だとか、、、予想できてしまうのは、私だけだろうか。

 昨年起きた、、京アニの放火事件も、結局は、犯人にとってだけの不都合な現実が、彼にとって、どうしても受け入れがたい事実で、それが、多くの人の命を奪うという結果に至ったのだ。

 とにかく、そんな、自らにとって、不都合な人間を、許すことができなくなったんだ。そして、皆が「前ならえ」であってほしいと、そんな支配的な感情を自然と抱いてしまう構造が、この社会では、出来上がっているのではないか。

 

 何もしていなくとも、安心できてしまう環境下に置かれた人間は、次に、非常にクリアが困難なゲームを好むようになった。人生というゲームを、非常にクリアが困難な状態なることを好むようになった。

 その主要な現れが、「徹底的に、叩きのめし、存在を抹消させる」動きだ。以前、ある芸能人でも、SNS上での叩き被害から、命を絶ってしまった。この国では、銃を保持すれば、法によって処罰される。しかし、言葉という銃を保持していても、処罰されないのだ。加えて、言葉という名の銃は、非常に強力で、時間をかけゆっくりと、人を抹消させるのだ。「罪に問われない」を裏目に取って、(もうはっきりと言って仕舞えば)殺人に及ぶのだ。それも多人数で。

 私の価値観であるため、共感を得ないこともあるだろうが、「芸能人の不倫・脱税・その他スキャンダル」なんて、私にとってはクソどうでもいい。

 おそらく、これは非常に逆説的であるのだが、叩く人たちもまた、正直なところ、これらに対して、無関係であり、クソどうでもいいはずなのだ。

 それでも、叩かずにいられない「ニセのヒーロー」演じ切っているのだ。そうでもしていないと、求めるものがない人間は、生きている意味を再確認できないのだろうか。

 

 とにかく、この叩き文化は、人生というゲームを非常に難しくさせていると、私は指摘したい。なにかアクションを起こせば、叩く。叩かれたくない人々は、大衆の陰で、大人しく生きることで、大衆は、空疎な「安心感」を得る。 

 残念ながら、これが現実ではないか?

 

 このゲームのクリアが難しい要因は、「一回性」という貴重さに指摘が可能であると、私は考える。

 一回限りのものに対して、私たちは、良くも悪くも、価値を見出す。本日限りのセール、毎年あるときだけ見られる絶景、などなど、一回限りは、多くの場合では、人々に感動を与えてくれはする。

 ただ、もし、人生で、活躍できる場が一回限りだったとしたら、どうだろうか。人間は、リスク回避的であるから、多くの人々は、活躍の場に現れようとしなくなる。なぜなら、叩かれて、存在消されて、実質的に、死を迎える。(死ということに対する意識の低下についても指摘したいけれど、、、)

 

 ここで、大学受験と、学歴社会を例に挙げてみたい。

 大学受験は、おおよそ18、19歳の人々が、一度に受験し、それぞれ学力の差によって、入学できる学校が振り分けられるのは、いうまでもない。つまり、そこには、再受験など例外を除いて、一回性がある。

 その一回性に私たちは、価値を見出し、「学歴は信頼の〜」みたいな主張がなされている。そこまではうなづけるものの、

 インターネット上で近年よく見かける「学歴煽り」の風潮については、許しがたい部分がある。いつまでも、人生様々ある挑戦のなかの一つだけを切り取り、いつまでも18、19の一回性ゲームにすがり続ける人々の姿は、非常に滑稽である。一回限りは、ただ感動を生むだけでいいのだ。その一回限りに、チャンスが回ってこなかった人々を、永遠に攻め続け、消していく姿は、私は、許せない。そこには、将来性が全くないのだ。

 

 「人生は一度きり」こんな言葉に、希望を持たされることもしばしばあるものの、一度きりに殺された人がいること、ここで指摘したい。換言するならば、その人に対して、なんら次の期待を寄せることができるような、隣人を持つことができる人が、いない社会が今・現実なのだ。一度の失敗で、殺される。この恐怖に怯え、今日も私たちは生きているのかもしれない。

 

 幼い頃、お世話になった、スーパーマリオは、はじめからであっても、マリオ×5人という保証があって、ゲームはスタートし、何度も、クッパと対戦できる機会を得られた。クッパに一度負けても、何度も城に入城することはできた。

 また、ポケモンであっても、挑戦して戦いに負け、「〇〇は目のまえがまっくらになった...」としても、故郷に帰れば、お母さんが、慰めの言葉をかけ、また、トレーナーとの戦いの後で負けたとしても、「またまっているぞ」と、敗者に希望を託したではないですか。

 

 なぜ、それができなくなった?

 命は、残念ながら、×1です。しかし、人生×∞を実現させることは、できるのです。誰も攻略できないゲームは楽しいか?仮に、攻略者が出てきたとしても、誰の喜びに変わるのか?

 今一度、立ち止まり、このような、皆一人一人が弱っている社会なのだから、考え直さなくてはなりません。

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。コメント等是非お寄せくださいませ。

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